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RENDさんの詩の世界 |
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ひとときの世界 ..REND |
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2003/02/16(日) 17:28 No.54 | ||||
しずかにながれる 雲さんといっしょに 真っ青なそら どこまでも どこまでも真っ青で あたたかい日のひかり 少しつめたい風さんが 心地よくて ずっとここにいれたらいいな 今をわすれて ずっと ずっと となりには ちいさなタンポポさんが 咲いていて きっとこのタンポポさんも いっしょうけんめい 生きてるんだね あ そろそろガボンガさんが むかえに来るころだ タンポポさん がんばれ わたしもがんばるからね |
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無題 ..REND |
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2003/02/16(日) 17:04 No.53 | ||||
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Re:無題 ..青柳仁 [URL 2003/02/16(日) 21:31 No.55 |
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RENDさん、仁です。 快い承諾ありがとう。(「ございます」省略)。 『無題』はRENDさんの発信源の姿が珍しく歌われているように思って興味深いです。生身の位置なんて把握するの難しいでしょうけど、仁は生身の位置を<願い>と同じくらい大事に思っています。過去も未来も<今の私>の中にあると感じているんです。<今の私>の中の過去の私、未来の私と<出会い直す>ことを仁は<自分探しの旅>と呼んでいます。 『無題』がRENDさんの<自分探しの旅>の表白の一端だと読むことで、他の詩をも連関して解釈してみたいなという衝動を覚えています。 |
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Re:無題 ..REND |
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2003/02/19(水) 00:48 No.57 | ||||
自分の原点を探しています。とてもおかしな表現です。自分はどこから来たのでしょうか。なぜ、原点から原点を求めようとしてるんでしょうか。自分が今、存在しないようでもあります。原点とは、はじまり、出発点、自分の歩んできた、歩んでいる、歩んでゆく一本のラインの基準点、そこから見るとこのラインがどういう軌跡をたどっているかみえる、自分を創る核、・・・。これらが真実なのか、そうではないのかは分からないですけど、ホンモノのジブン探しには、原点はきっと欠かせないもので、コトバでは表せられないほど意味の深いもののような気がしてきました。そしてコトバとして原点を紡ぎ出す=自分を見いだす(?)、それを探し求め、こうやって詩をたくさん書いているのかな。なんとなく作り上げてしまっているけど、それら直感で感じたものはとても近いような気がします。よく分からない文になってしまいました・・・。結局、原点を探すことは自分を探すということになってます。きがすむまでこうやって詩を書いていくつもりです。この『無題』も原点探し、自分探しのなかのひとつの『詩』にすぎません。(ただ、ほかの詩も『無題』のような気持ちから作られたのが多いです。まあ、これは原点ではなくガボンガ、原点のあとののちいさな原点、分岐点みたいなものなのでしょう)純粋な気持ちで詩を読む。作る。大事ですね。分かりづらくてごめんなさい。 |
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ガボンガ初見参 ..REND |
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2003/02/14(金) 00:27 No.46 | ||||
頬づえついて、くすんだガラス窓から眺めると、排気ガスで曇った街が、ギザギザ三角山をバックグランドにおどってる。教卓から出発したコトバ号は、クゼイアナドール山脈より長く連なり、窓の隙間からもれ出す。そしたらそいつらは街のおどりにあわせて、うたを歌いだす。それを見てた教室の、ガヤガヤや、ストーブの匂い、数学のプリント、教科書や田中のうわばき、さらに椅子や机までもが一気に駆けだし、街は大騒ぎになった。怒ったコルドバの神は街を砂漠に変えた。さらさらと、さらさらと砂は風にのる。コトバ2号は、行き場をなくし、漂う。 いつの間にかみんなそれぞれ出ていって、1人になってた。隅には小さくなってる妖怪『ガボンガ』がいて、こっちを見てる。夕日は教室を山吹に染めて、ゆっくりと、ゆっくりとくれていく。黒板にでっかく夢書いてみた。『ガボンガ』はくすっと笑って消えていった。夢はそこら辺を漂ったあと、ボクを食って、砂漠の街へとんでいった。 |
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Re:ガボンガ初見参 ..青柳仁 [URL] |
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2003/02/15(土) 13:45 No.49 | ||||
RENDさん、仁です。 妖怪ガボンガ初見参おもしろいです。なんかはまりこみそうです。これからも見参させてくださいね。 「教室」が場だということは生徒の心象だと思ってもいいのでしょうか・・・。仁は教員しているので、ちょっと驚きなんです。そしてこんな生徒の心の中を歩いてみたいなあと思ってしまいます。心の世界ってとてつもなく豊かなんですよね。 授業が砂を噛むようなものになってしまっていることを思い知らされるようです。 仁風に読みとってしまってごめんなさい。言葉は発した人の心の表れでしょうけれど、また、受信した人の心の鏡でもあるんですね。詩も同じで、作者から誕生して、読者と出会って、成長していく子どものようなものかもしれないと仁は思っているんです。読者が読み込んだイメージを滋養にしながら詩という子どもが広がりと深まりを獲得していくのではないでしょうか。作者には失礼なことかもしれませんけれど、読む側のそんな自由な読み込み方もお許しいただけるといいなぁと思っています。 仁は交心を大事にしていきたいと願っていますので、投稿いただいた詩にみなさんの感想や読み込みを交流していただけるとうれしいです。よろしくお願いします。 |
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Re:ガボンガ初見参 ..REND |
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2003/02/16(日) 00:26 No.52 | ||||
どうぞどうぞ、ご自由に。自分なりに細かい解釈は作ってるんですけど、実際は読者が自由に読んで、自分なりの解釈を自由にしていくんだと思います。それが自分にとってうれしいことなんだと思います。 ガボンガさんは心の隅にいる客観的な存在でもあり、ひとつの小さな分岐点だと自分は思います。お返事ありがとうございます。これからも、仁さんの感想、仁さんなりの解釈まってます。 |
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春〜めぐる ..REND |
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2003/02/10(月) 17:50 No.27 | ||||
さよなら・・・ 一言でボクらは哀しくなって、なみだ流して、強くなる。恋しくなって、逢いたくて、まくら抱えてもう一度つぶやいてみる・・・ さよなら・・・ 少しむねのすみがちくんって・・・ きゅうに過ごした日々が愛おしくて、今にもきえいりそうになって・・・ 雨の音がこころの鼓動を消すからなおさら・・・ ・・・ 時が戻ればなんてうしろむきなおもい ・・・ ちょうちょといしょに遠くへとばしたくて ・・・ それでも季節はめぐる・・・ 春のときはあたたかく包んでくれて、夏になるとみどりがささやいてくれて、秋がくるときれいにボクらを彩ってくれて、冬にはこころをつなげてくれて、 そしてまた・・・ 別れの季節が来る さよなら。 ボクらはまた、旅にでる。 |
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レミ〜いつもきみのそばに ..REND | ||||
2003/02/09(日) 00:10 No.21 | ||||
ねえ、ペル、きいてるんでしょ?なんとかいいなさいよ。なんかこのごろおかしいよ。そんなひとのことばっかかんがえて。すこしはじぶんのためになにかしたら?がんばりすぎなのよ。ほら、ペル、そらみてごらん。こんなとかいでも、めをこらせばほしがみえるでしょ。へへっ。しらなかったでしょ。とかいはほしがみえないっておもいこんで・・・つきなんかほら、あおじろいよ。きっと、きょうはかなしいんだね。きいろいときはやさしくって、あかいときはちょっとおこってるんだ。つぎのひはあめだよ。ねっ。だからすこしやすみなよ、ペル。ぺーすおとしてさ。じゅうぶんかっこよかったよ。じぶんではさ、ほんのちょっともそんなこときづいてないんだけどね。みんな、あこがれてるよ。だめなとこもあるけど、いいとこのほうが、そとによくででる。あ、また、てで、めもとかくしてる。なにかかんがえこむとすぐ、そうする。そうだよね。だれかのため、ひとのためっていうこころすてると、なにものこらないもんね。そんなペルがすきだよ。さ、そろそろきえなきゃね。じゃあ、またいつかね。ペル。 |
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